漱石もぼんやり浸った
温泉好きでなくても「道後温泉」は誰でも耳にしたことはあるだろう。聖徳太子を始めとして、古代から現代に至るまで、さまざまな歴史と文化に彩られている温泉地である。
広く知られたのは夏目漱石の名作「坊っちゃん」からである。江戸っ子で29歳の彼が松山中学に赴任中、土地に馴染(なじ)めなかったのを救ってくれたのは、高浜虚子、正岡子規と俳句を創(つく)ったり、ともに温泉に浸(つか)ることであったという。彼らが浸っていた木造3階建ての立派な共同浴場は、「道後温泉本館」として、今なお健在な姿を残して一般客に開放されている。100年を経たこの建物は重要文化財になっている。館内には「神の湯」と「霊の湯」がある。この建物は道後温泉のシンボルとなっている。
「彼は暇を見出せばここ道後温泉に来た。ただ心の赴くままに湯の中に浸ったり、また出たりしてぼんやりと時間を過ごした。石段に腰をかけて足の下部を湯に浸したままで、手を膝(ひざ)の辺に置いたり、時に背に湯を掛けたりして時を過ごした。漸(ようや)く身体の冷えるのに気づくと、また湯の中に浸った」と漱石の入浴ぶりが虚子により描かれているが、まさに温泉の入り方を示している。
外湯にもう一つ「椿(つばき)の湯」があり、駅前の公園、放生園(ほうじょうえん)には「足湯」がある。客や土地の人の交流の場である。情緒ある温泉街をゆったり歩くことで、道後を楽しめるし一句詠もうかなという気分にもなる。歓楽温泉地から本来の保養温泉地に脱皮しつつある「道後」である。
(植田理彦・医学博士)