自家源泉と露天の古湯
戦後50年、自動車の普及は地方の交通機関を弱体化させた。マイカーは文字通りのものとなり、一家にではなく1人に1台が常識となった。
特に地方の「足」であった定期バス路線が次々に廃止されていったことは、住民よりも個人旅行が一般化した現在の旅行客にとって影響が大きい。那須連峰の北端、大白森山から流れ出た二俣川の清流に沿ってわき出る二岐温泉も、そうした意味では不便な山の湯である。
定期のバスは東北本線の須賀川駅から朝夕数便しかない。昨年、道路の舗装工事が終わったが、それまではがたがたの地道を幾度も曲がり、ハンドルを握りしめつつブナやアスナロの原生林の中をたどる秘境であった。
平安時代、天皇のための薬湯を求めて分け入った都人によって発見されたとも、平家の落人里ともいわれる古湯である。
旅館は5軒。いずれも小さな宿ばかりだが、ほとんどの宿が自家源泉を持ち川畔に露天風呂を作ってある。その1軒、大丸あすなろ荘の佐藤好億(よしやす)さんは全国の秘湯の宿150軒を率いる「日本秘湯を守る会」の代表だ。「秘湯こそ日本の温泉。そのグレードを上げてゆきたい」と活動する。
まずは温泉そのものを大切に扱い、自然環境を守り、しかも現代の生活感覚に合ったサービスの提供が必要と説く。最近は天栄村の特産「ヤーコン」という根菜を使った特別料理も温泉地として研究、この地の名物に育てようとの機運が高まっている。
(竹村節子・旅行作家)