人里近くの桃源郷
はるか人里離れて、大自然の懐に抱かれて……という趣ではない。人里はあくまで近く、宿を出ると普通の街、生活臭があふれている。何たって新宿から中央本線で約1時間半。駅から徒歩で行ける宿や、タクシーでワンメーターの宿がたくさんある。
さらに、いにしえの昔から滾々(こんこん)と湧(わ)き出ていたわけではなく、突然ぶどう園から毎分1250立方メートルの湯が噴出し、近くの川に流れ出し、川が「青空温泉」に様変わりしたニュースが新聞を賑(にぎ)わしたのが昭和36年。誕生の瞬間から知っているんだぞ! という友達感覚が気安さを生み、気安さが構えのいらない日常の延長線上のくつろぎを生む。ついでに料金もカジュアル。それが石和の魅力だ。気持ちもバリアフリーなら、温泉施設も高齢者やリハビリ滞在のためのバリアフリーが多く、お湯の効用のひとつに「骨関節の運動機能障害」とあるのもうれしい。
自噴温泉の宿では、温泉が飲める。「飲む野菜ですから」 温泉が野菜? 「地下深く大地の力で圧縮された草木の薬汁が溶け出しているから」 なるほど。能書きによると、僅(きん)微褐色硫化水素臭味とある。わずかに濁った色合いも、大地の恵みの色に思えてくる。
石和周辺は、いちご、さくらんぼ、桃、ぶどうと果物で有名。実もいいけど、花の季節もいい。お気に入りは春。濃いピンクで燃え立つような一面の桃畑は、まさに俗界近くの隠れ桃源郷。咲き誇る勢いが、目からも元気をくれる。
(吉永みち子・ノンフィクション作家)