豊富な湯量 多彩な泉質
斉明天皇の4年(658年)、天皇は、皇太子中大兄皇子らを従えて、保養をかねて飛鳥から紀伊の湯崎まで湯治に出向いた。『日本書紀』に「牟婁(むろ)温泉」とか「紀の温湯(ゆ)」などとして記されているのは、白浜温泉の湯崎のことである。
南紀の須崎半島の海岸に沿って、手前から新白浜、古賀浦、大浦、綱不知、東白浜、湯崎の各温泉を総称して「白浜温泉」と呼んでいる。
いずれも入り江や岬のある田辺湾に面し、眺望よく静かな風景を見せている。最も発展しているのは白浜地区で、土産物店、レストラン、バー、居酒屋、高層ホテル・旅館などがずらりと並んでいる。
湯崎地区は海岸に露天風呂を設け、共同浴場などもあって、「牟婁の湯」の歴史と伝統を継いでいる古い温泉である。
源泉に恵まれていることも有数で、約1000本を数える泉源を持ち、湯量も豊富だ。泉質もアルカリ性食塩泉、アルカリ性炭酸泉、含重曹食塩泉と多彩で、泉温も42~90度。従って外湯とも呼ばれる公衆浴場も、時代と共に多少の変化があるようだ。
大正9年鉄道院発行『温泉案内』を見ると、崎の湯、濱(はま)の湯、鑛(かな)湯、栗(くり)湯、萬屋(よろずや)内湯などの湯名が上がっている。
最近では、波の荒い時には入浴ができなくなる海の温泉・崎の湯露天風呂をはじめ、牟婁の湯、松乃湯、綱の湯、千畳の湯、白良湯、白良浜露天風呂「しらすな」、白浜温泉パーク草原の湯など、新旧の入浴施設が数多くあって、1日入り歩いてもまわり切れないほどである。
(旅行作家・野口冬人)