紀州藩主もお気に入り
奈良との県境近く、紀州の屋根といわれる護摩壇山(ごまだんざん)をはじめ、鉾尖(ほこさき)岳、牛廻(うしまわし)山などの山々に周囲をかこまれた日高川奥の山峡の温泉だ。歴史は古く、約1200年前に役(えん)の行者・小角(おづぬ)が発見し、後に弘法大師が難蛇龍王(なんだりゅうおう)の夢のお告げによって湯を開いたという伝説が残っている。龍神温泉の名称はそれに由来すると言われる。
かつて中里介山が長編小説『大菩薩峠』で、近年では有吉佐和子が名作『日高川』の舞台に取り上げ、宿の娘とひとりの若者のせつなくも悲しい交情を描いている。
江戸時代初期、紀州藩主徳川頼宣公がしばしば訪れ、旅館「上御殿」は定宿になっており、屋号も頼宣公が賜ったと伝えている。木造二階建ての建物は明治の大火で焼失し、現在の本館はその後に再建されたものである。頼宣公が泊まっていた「御成の間」も昔のままに復元されている。男女別の内湯は檜(ひのき)と高野マキで造られ、日高川にのぞんで巨石を囲った露天風呂がある。
並んで寛永16年(1639)創業という「下御殿」も、紀州藩主の定宿であり、玄関先の招き行灯(あんどん)や提灯(ちょうちん)が、江戸時代の風情をしのばせる。
温泉街中ほどには、共同浴場「元湯」がある。数年前にリニューアルされ、肌触りのいい檜風呂と川石で囲った露天風呂がある。泉質は、ラジウムの含有量の高い重曹泉で、肌のキメを細かくするところから美肌作用の高い温泉となっている。
(野口冬人・旅行作家)