「テン」に逢える一軒宿の湯
白い顔に可愛(かわい)らしいクリクリとした目、胴体は茶色い毛皮に包まれている。雪の斜面を「はやて」のように走り回る。都会ではお目にかかることのできない「テン」が、冬になると毎晩のように、雪に埋もれた湯治宿にやってきて、滞在する湯治・保養客の無聊(ぶりょう)をなぐさめてくれる。
そんな「テン」に逢(あ)える温泉が青森県の八甲田山中にあるというので、雪深い1日に訪れてみた。
天から吊(つ)り下げたような突峰を見せる、八甲田連峰の高田大岳(1552メートル)の裾(すそ)に、約400年の歴史を刻むと伝える1軒宿の温泉だ。つい数年前までは雪のため冬期間は閉鎖していたのであるが、2メートルを超える雪の除雪も可能になったので、深い雪を踏み分けて、山の秘湯も楽しめるようになった。
ここの名物はなんといっても総木造りの浴舎だ。青森ヒバ材で造られた浴槽の底から源泉がこんこんと湧(わ)き出てくる。硫化水素泉、40度前後だからちょっとぬる目である。したがって入浴は30分から1時間の長時間浴をする。隣接して43度の熱い浴槽があるから、そちらで温めて上がる。
「テン」が出るのは、食事処の窓外の雪の斜面。「現れるのは、夜の十時過ぎが多いですよ」という谷地支配人の言葉に、食事のあと、火鉢にかじりついて待つ。11時近くなって、雪の斜面を割ってチョロっと顔を出した。くるくるとまわりを見回して、さっと身体全体を雪上に出すと、雪の斜面を駆けまわり、大きな木の枝へスルスルと上がる。「ワアー、可愛い、テンを見たよー」と一緒に待っていた湯治滞在するおばさんたちも大よろこびであった。
(野口冬人・旅行作家)