徳川家とゆかりの深い名刹。 徳川家康の信任を得、側近として用いられた天海僧正が在住し、名を北院から喜多院へ改め、隆盛を誇りましたが、寛永十五年(1638)の大火で堂塔伽藍を焼失しました。
徳川家光の命により再建が行われ、江戸城青葉山から客殿、書院、庫裏を移築しています。
客殿には「徳川家光誕生の間」があり、書院には「春日局化粧の間」があり、これは現存する江戸城唯一の遺構とされ、重要文化財に指定されています。
また、家康逝去の後、遺骸を日光へ運ぶ途中、喜多院において天海僧正が四日間の法要を行い、日光、久能山と並ぶ仙波東照宮が造営されています。
喜多院は川越大師としても知られ、初大師、節分会、桜まつりなどでにぎわいます。毎年1月3日には、恒例のだるま市が行われ、家内安全、商売繁盛、諸願成就を願う人々がだるまを買い求めに訪れます。